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2016/08/30

身体つき、言葉の停止、言葉の決壊 ー『100円の恋』を観た

安藤サクラを好きな友達が、安藤サクラがどうしても好きなんだという話を聞いてから、安藤サクラのことが気になっていて、なんか不意に時間ができたので『100円の恋』をネットフリックスで観てみた。ジャンルが前後半でガラリと変わる、最高の映画だった。

なんかもうトレイラーとか見ると全部ネタバレしちまってんじゃねえか!って感じがして、とにかく予告もあらすじも見ないで観ることを勧めるけど、映画の宣伝って難しいんだよな~といつも思う。

以下、ネタバレ。



==あらすじ==

32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていた。
ある日離婚し、子連れで実家に帰ってきた妹の二三子と同居をはじめるが折り合いが悪くなり、しょうがなく家を出て一人暮らしを始める。夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にありつくが、そこは底辺の人間たちの巣窟だった。
心に問題を抱えた店員たちとの生活を送る一子は、帰り道にあるボクシングジムで、一人でストイックに練習するボクサー・狩野(新井浩文)を覗き見することが唯一の楽しみとなっていた。
ある夜、そのボクサー・狩野が百円ショップに客としてやってくる。狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに2人の距離は縮めていく。なんとなく一緒に住み始め、体を重ねるうちに、一子の中で何かが変わり始める―――


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前半、「自堕落な生活」というときの安藤サクラの体型の半端ないルーズさ、猫背、二重あご、無気力で思考停止寸前の目つき。妹の二三子にいわれる「あんた親の年金狙ってんだろ、おめえみてぇなやつが平気で死体を埋めたりすんだよ!」というセリフにも、あ、確かにそういう感じかも、と思わせるような危うさ。この場合、親を殺すみたいな話じゃなくて、親が死んでしまった時にどうしていいかわからなくて埋めちゃう、みたいな話だなと僕は思った。

他人と共に生きることを諦めまくって、言葉を使って人に何かを伝えることをしていなさすぎて言葉が出てこない。親の死のような局面で他人がどうしているかを見たことがないから、考えることも工夫することもできない。猫背で、腰から落ちたような歩き方で、わがままで無気力。それでいていつも何かに怯えて肩に力が入っているような狭窄感。安藤サクラの演技っていうか身体つき自体をそうしちゃってる感じがすごい。

一子が働き始めた100円ショップの定員たちも、その狭窄感に拍車をかける。うつ病の店長の、なりたくてそうなったわけじゃない息苦しい真面目さ。働かないでしゃべってばかりいる粘着質な野間というおっさんのそれこそ思考停止したバカさ。

そんな中でも、一人暮らしを始め、働くことを続けていくと生活が回り始め、服や下着やテレビを少しずつ買い揃えていく様子が、明確にシーンとしては表現されないけれど画面の中にポツポツと現れ始める。その事に希望というか、明るさが見える。

新井浩文演じるボクサー・狩野の引退試合を見たこと、そしてその夜に野間に強姦されること(この強姦のシーンが、残酷で暴力的というより、とにかくセコすぎて軽がるしすぎて、もう最低だった)、別の日に酔いつぶれて100円ショップにきた狩野を介抱したこと、狩野が別の女のところに行ってしまうことなどが重なっていき、複雑になっていく生活とは裏腹に、一子はシンプルに、ボクシングにのめり込んでいく。

働き始めたばかりのときにレジ打ちをおぼえようとする様子と、ボクシングを習い始めたばかりのころにジャブをおぼえようとする様子のたどたどしさが同じな感じとかも、よかったな~。ジャブって、脇を締めたり腰を入れたり鋭くまっすぐ打ち込む意識をしながら、同時にガードも意識しなきゃいけなくて、単純に見えていろんなことを同時にこなさなければならない。ちょっと前まで思考停止寸前だった一子には、それは複雑で難しい。だが狩野とのことや野間とのことなど、生活の中で複雑でわからないことを食らううちに、ステップ、ジャブ、ダッキング、ボディ、フックがシンプルにつながっていく。

この、中盤の、映画自体のジャンルが変わっちゃう怒涛のギアチェンジに痺れた。その感じ、予想してませんでした。ボテボテの体つきから次第に切れ味の増していく安藤サクラのシャドーボクシングの加速感はもう最高でビリビリくる。

最後、プロテストに合格した一子は、幸運もあって4回戦の試合に出る。試合前に短く切った髪の毛をかきあげるとき、切れ長の目がすごくカッコよくて美しくてハッとする。切れ味最高のシャドーボクシングをいっぱい見せられたぼくは「これはいけるんじゃないか」と思ってしまったが、試合の相手は強そうで、一子のパンチは全然当たらない。冷静さの欠片もなく相手の事もまっすぐに見つめられず、ただただ呼吸を荒げて闇雲にバタバタし、コーナーに帰ってきたときには白目をむいてまともに言葉もでてこないグロテスクな一子の表情。そのなかに、ときどきめちゃくちゃ美しい表情が帰ってくる瞬間があって、これまたハッとする。3ラウンドめの、一矢報いるあのボディからの左フック、からの相手のブーメランフック、、、あ~!!!っていう。

試合が終わって、着替えて、ボロボロの顔を鏡で見て、階段をおりたところに試合を見に来ていた狩野がいて、呼吸を荒げて泣きながら何かを必死で言うんだけど、何を言ってるのかもうわからなくて、たぶんそれが「一度ぐらい勝ちたかった」なんだろうなというぐらいの感じで、狩野に手を引かれて泣きながら歩いていく。体つきもだるだるで言葉もまともにでてこないくらい思考も感情も停止しかかっていた一子は最後、シャープに仕上がった体で、好きな人に会って感情も思考も追いつかないぐらいグルグル回って言葉もまともに出てこなくなる。前後半の対比がめちゃくちゃ美しい映画だった。

安藤サクラが出ている映画ってまともにみたことなかったけど、目つき、身体つき、仕草が、見ている観客の気持ちをのりうつらせるような魅力のある人だと思った。卑近なルーズさを持っているのだけど、同時に遠くて追いつけないような美しさを見せる感じ。映画も小説も、主人公に憑依するような感覚で見られるのが最高だと思うんだけど、それを実現している役者安藤サクラすごかった。


ボクシング映画として『クリード』のような試合の臨場感だったし、女性がギリギリの闘いに挑みながらもギリギリで敗れるという点でマリオン・コティヤールの『サンドラの週末』を思い出した。