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2015/12/30

落ち着きと解像度 ー27 歳最後の投稿

28歳が足音をたてて近づいてくるところで、年末はカウントダウンが二つあるんだよな〜と思いながらキーボードを叩く。大晦日が誕生日で「慌ただしい日に生まれましたね〜」とよく言われるのだけど、そのせいかそそっかしい人間になったものだと思う。

何かまとめたいことがあるわけじゃないけれど、年末なのでぼーっと今年のことを振り返ると、仕事の仕方が大きく変わって、考え方もいろいろ変わった。来年は結婚もするし、引越しもする。年明けには独身最後ってことで一人アメリカ旅行もする。自分のことを大事にしなければ、と思ったのは2年ぐらい前で、正直つらい時期だった。とにかく大学生からそそっかしく生きてきて、その時期のことはまだ片付いていないのだけれど、ようやく落ち着いて考えられるようになってきた。

「落ち着く」ってどういうことかって、つまらなくなったり退屈になったりすることではないと思う。「落ち着く」とは、冷静に慌てずに判断ができるようになることと、偶然性を楽しめるようになることの2つだと思う。落ち着きがなくては冷静さはないし、「こうしなきゃ」みたいなことに縛られていると偶然の美に気付くことができない。例えば、道を歩いてていて珍しい植物や虫を見つけてその名前を呼んで喜べる人はとても落ち着いているなぁと思う。あとお茶が好きな人も。

前にフランク・ゲーリーの展覧会について「高圧力・高解像度」のことを書いたけれど、有限な時間のなかで世界を高解像度で眺め、高圧力で何かを生み出すには、落ち着きが欠かせない。今年は同僚に教わったヨガの太陽礼拝というのを毎朝地道に続けたり、運動をマメにやったりして、フィジカルに落ち着くことをコツコツやってきたつもりだ。そしてそれはまたしつこく続けて行こうと思う。

年をまたいで人が変わるわけではないけれど、落ち着きを纏うことと、そうして解像度が上がってきた視界が捉えるものを、ちょっとづつ圧力をあげて(一見余計な)提案をしていくのが目指すところです。来年もまたよろしくお願いします。

*関連する記事はこれ
執念、圧力、解像度 ー村上隆、フランク・ゲーリー、赤塚不二夫
形、中身、神