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2015/02/22

自分の物語を誰がどうやって編集するの? ー飲み会に行く楽しみとして

飲み会に意味なんてあるのかな?と、ふいに思ったりすることもあるし、昔はよく無駄な飲み会なんて行きたくないね、とクール気どりの嫌なことを言っていた。



最近飲み会をわざわざ企画してご飯を食べに行くことが増えたような気がするんだけど、それは何か飲み会に楽しみを見出したからなのかもしれない。

飲み会のなにが面白いって、友達の人生の話を聞けることだし、自分の話と影響しあってぽこぽこと湧いてくる友人や同僚たちのものごとのやり方や好き嫌いやどうしようもなくやってしまうことの集積みたいなのが見えてくることだ。小説を読むよりもグルーブがあって、演劇を見るよりも参加できて、映画を観るよりも自由だ。



飲み会の場の、仕事につながるわけでも、何かの問題解決になるわけでもない言葉のやりとりは、人生の中で起こる出来事の見方というか見立て方を変えるかもしれないし、語りながら見つかる自分の考えとか感覚とかがあるかもしれない。

いい飲み会での会話はふとした時に自分の人生の物語を編集してくれるかもしれない。

悪い飲み会というものは、あたりさわりのない会話だけがかわされたり、ひとりの人の聞きたくもない演説で終わってしまったり、発見も驚きもないし、ツッコミも入れづらいようなのは超スーパー退屈なのですぐ帰ろうと思う。



複数人でビールを飲んで牡蠣やあん肝をたべて刺身を食べてレモンハイを飲みながら、お互いの癖や考えやくだ巻きやオススメや悩みや自慢が言葉になって混ぜ合わさっていくと、占いやカウンセリングみたいに形式にはならないけれど、話しているうちに自分の物語の輪郭や筋が見えてきたりして、あーなるほどそうかもしれない、と妙な納得をして帰れたら、それはいい飲み会だったんだと思う。

自分のことじゃなかったとしても、ああこの人はこんな風に変わっていくかもなぁ〜とかその後を想像できる感じのも、好きな感じだ。

そんなわけで年度末のファッキン忙しいのが終わったら、またいろんな人と飲みにいきたい。みなさんぜひお誘いください。そして誘わせてください。