ページ

2014/04/03

わからない重さ、わかる軽さ

ことの終わりが、いくつも、同時に、目の前に現れた3月から4月。2014年度が始まって3日経つけれど、終わりを整理しきれずにいる。

新しい時間を前に、ほとんど白紙の未来が茫々と広がっていて、こんなにも白紙は人をたじろがせるのかと思うほど白紙。

いや、やるべきことはたくさんあるのだ。石神井、中村橋、光が丘、雑司が谷、水戸、丸亀、前橋、奈良・・・いろいろある。ただ、お金のこととか、人と楽しく働いていくためのやり方を学ぶこととか、そういう見通しが立っていないまま再出発をしてしまっていいのか、悩んでいる。

ここ1、2年の、無自覚な空回りと横暴さと、人への無神経さが、招いてしまったいくつもの終わり。さて、やるべきことをやろう、と身体を動かそうにも、驚く程に元気が出ない。

やってしまったことを悔いていて、このさきのことも不安で、たじろいでいて、お金のことも仕事のことも、これまでの経験を活かしてうまく回していける、という自信もなくて、こんなに失敗をしてしまって自分にはもう何もできないんじゃないか、という絶望というほどカッコよくない、みっともなく、いじけたようなモサモサが、元気が湧いてくるところにドサッと重たく蓋をしている。

ということなのだと思う。ということが、わかるだけで、少し気持ちが整理される。蓋になっているモサモサが、少し軽くなる。

わかる

わからない

わからないということがわかる

わからないということがわからない

わからないということがわからないということがわかる

といういくつかの段階があって、何かがわからないときには、何がわかっていないのかがわかっていないんだなぁ、ということを確かめてから始めるといいのかもしれない。そのことに気づくために、いろんな人と話をして、モサモサを軽くし、ついには消し、元気を取り戻していかなくては。















2014/03/30

人力、ミニマル、グルーヴ

音楽は別に詳しくはないし、そんなCDやレコード買いあさったり、クラブに入り浸ったりするようなこともしないんだけど、一個だけ好きで好きで仕方ないジャンルがあるとするとそれは「人力ミニマルテクノ」です。

2012年3月31日に、ドイツのミニマル・テクノユニット「Brandt Brauer Frick」という人たちが来日してたときに、なんとなくかっこよさそーと思ってYouTube見たらおや?これは?と思ってライブに行ったらめっちゃ踊らされてびっくりした。



ミニマル・ミュージックの代表者の一人にテリー・ライリーという人がいるらしくて、その人の「in C」という曲を蓮沼執太さんが演奏していたので、原曲も聞いてみたらすごくよくて、あぁこういうのがミニマルなんだ〜と思っていた矢先のコレだったので、こんなに踊れるミニマルあるの〜!!!!と驚いた。



人力ミニマルテクノはジャンルとして確立されてるわけじゃない。ただ、人の力で繰り返されたり、気付かないうちに変容していったり、予期せぬ音が入っていてそれが新しいグルーヴになっていったりする感じが気持ちいい。たとえば日本のにせんねんもんだいも、おなじ感覚で好きなわけです。



で、更に調べてみるとアフリカにもあったみたいですね!人力ミニマルテクノが。無表情でぽんぽこやってる感じがたまらないし、ちゃんとエレクトリックなんだよな〜。親指ピアノっていうんですか。
(00:02:07あたりでおもわずツッコミを入れるはず。)



とまぁこんなかんじで、なんとなく好きな音楽映像をまとめたくてブログに埋め込んだッて感じです。一見バラバラで予定されている和音とは別のかみあわせで生まれちゃうグルーヴ、みたいなのが最高にアガる。不協和音とかいって和音って誰かに決められたもんだし、おもしれー!とかあーこんなんしちゃおかなーとかそういうのが重なってくればヘンチクリンなグルーヴは生まれるのだということを見せてくれている。

同じ文脈で紹介していいかわからないけれど、Open Reel Ensembleもまた、人力で、時にはその場で録音/再生/編集(回転したり止めたり)して演奏してしまう、超クールなグループ。


こうやって並べてみると、こういった質感のグルーヴを出すための身体性って、何なんだろうと考えてしまう。こうしたらおもろいだろ、とか、こんなんしちゃおっかなー、とか、ここにあえてこう!みたいなやりとりが生む集合知、これは楽しそうだなぁと思う。ぼくもぜひ嗜みたい。