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2013/08/11

文化と福祉が隔てられてるのなんでなの

ドイツにいって驚いたのは、福祉的な役割をもつ「ユースセンター」は正確には「ユースカルチャーセンター」で、文化の施設だったということ。文化とは福祉である。多様な人が表現しあい、自己と社会を形成することを支援していく。これが文化事業であり、福祉事業である…という大きな前提がある。

翻って思うのは、日本ではなぜ文化と福祉にはこんな大きな隔たりがあるんだろう、ということ。「文化」とひとことでいっても伝統芸能から大衆音楽、オタクカルチャーから現代美術までいろんな領域があるけど、タコツボ化してる印象だし、その中でゴニョゴニョとやりあってる感じ。一方で「福祉」はというと、子どもや高齢者をケアするというのは必要なことなんだけど、取り囲んで甘やかすみたいになっちゃってない?と疑問を感じる。

いろんな人が多様に表現して自己と社会を形成していくのは「文化」でも「福祉」でも全然変わらなくて、相互に溶け合っているべきと思う。

もちろん、面白くてカッコイイ福祉/文化の実践はたくさんある。大泉学園にある「つくりっ子の家」はまちぐるみで精神障害者と生活し働く環境をつくっているし、浜松の「アルスノヴァ」は重度の知的・精神障害者の生活から生み出される表現を、アートとして鑑賞し楽しめるものに転換している。

こうしたカッコイイ事例に共通するのは、本来ならケアすべき対象になってしまう人の創造力を信じ抜いていることだ。彼らはケアされなければ何もできない存在である…という諦めは皆無。障害というレッテルを貼らずに、彼らが社会に提示する新しい問い、新しい価値がある、ということを信じ抜き、そして実践していると思う。

残念なのは文化の方で、そういうのを障がい者系アートプロジェクトね、はいはい、みたいに眼指している感があるし、かくいうぼく自身にもそういうきらいがあることだ。残念すぎる。

福祉と文化が交じり合っていることが「普通だよねー」みたいにしていくには、福祉に従事する人が感じる創造力を諦めた感/違和感を集め、文化に従事している人が感じてるタコツボ化に対する違和感を集め、織り合わせていくことから。

事業としてやろうと思ったら超大変なので、自分の周りだけでも今のこの福祉と文化の断絶が滑らかに交じり合うようになったらいいな〜と思う。

違和感を集め、織り合わせる作業はリサーチ。