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2013/05/04

IDEA R LAB、岡山は玉島へ




4月27日土曜日、連休のはじめの日。岡山は倉敷市、玉島へ。目的は、大月ヒロ子さんが代表をつとめる「IDEA R LAB」に行くこと。ここは、「クリエイティブリユース」のための情報プラットフォーム、実験室、レジデンスです。たった一泊の旅だけど、目の覚めるような素晴らしい経験の数々でした。


「クリエイティブリユース」とは、廃棄物を創造的に活用することです。それは日常的にぼくたちがゴミと呼ぶものから、家屋のようなゴミと呼ぶにはあまりに大きなものまで、廃棄・焼却の道を辿るものを「素材」と捉え、新しいモノを生み出す活動の総称です。(くわしくはこちら! IDEA R LAB「クリエイティブリユースとは」 http://www.idea-r-lab.jp/?p=48

この「クリエイティブリユース」のための活動拠点として、大月さんのご実家だった場所をリノベーションして生まれたのが、「IDEA R LAB」というわけです。


大月ヒロ子さんとは、2年前に出会って以来、度々お世話になっています。大阪の大型児童館「ビッグバン」をはじめ、様々なミュージアムのプロデュースを手がけています。そんな大月さんが世界各地の「クリエイティブリユース」に関する施設についてリサーチをされていて「それをまとめた本を出したい」というお話を伺ったとき、何か関わることができたらと思い、出版社ミルグラフの富井雄太郎さんをご紹介させていただいたのが最初のきっかけでした。(その本は、この8月刊行予定!millgraph.com


倉敷に行くのは、ほぼはじめて。新倉敷駅からバスですこし移動し、玉島中央町のバス停を降りて、お餅屋さんの角を曲がって歩いてゆくと、黒く輝く焼杉の壁に囲まれ、大きなガラス窓が構えられた建物に出会う。そこが、IDEA R LAB。


中に入ると、卓球台のテーブルが置かれた、白い空間が広がる。ホワイトボード塗料の壁面を使えば、ミーティングが活発になりそうだし、これだけの広さがあれば立食パーティーにも最適。入って左側にはレジデンスとなる畳の部屋。まるで旅館。ぼくもここの2階に宿泊させていただきました。そして右側にはかつて蔵だった空間が、使われるのを待つように佇んでいます。

IDEA R LABやその周囲には、もともと大月さんのご実家で管理されていた土地があり、大月さんはそれらを引き継ぎ、有効に活用していこうとしています。近所の元熱帯魚店を資材を並べた「マテリアル・ライブラリー」にしたり、ラボの裏手の庭を「コミュニティ農園」にしたり、ラボの周囲、というか玉島には、人の手によって生まれ変わるのを待っている空間がたくさんあるようです。こういう場所を活用して何かやりたい気持ちを持った人が集まる場にしていくことも、IDEA R LABのビジョンに含まれています。


玉島の街を大月さんに案内していただき、近所のギャラリー遊美工房、和菓子屋さんの松寿園、酒蔵、漁港などなどをめぐりました。かつて北前船の漁港・卸の街として栄えた玉島には、300年、400年前からあるような古い蔵や家屋がたくさんあり、観光の資源として保存されたり、過度に演出されたりすることなく、日常の中に息づいています。なかには放ったらかしにされていたり、取り壊しの準備にかかっているものもありましたが、その自然な様に時代を超えたような錯覚を憶えました。




「人がたくさん来てくれるから、仕事以外のことでむっちゃ忙しくて」と楽しそうに話す大月さんは、ラボにいても、地域のめぐっていても、様々な方に挨拶をして笑い声を交わしていました。そんな生活を垣間見ると、思わず東京での仕事/生活と比較してしまいます。



街を巡ったあと、お昼に食べたのは、魚市場で買った、水揚げしたばかりの「手長ダコ」。塩でぬめりをとり、ぶつ切りにして醤油で食べたらもう最高でした。そんなわけで昼からビール。野生のクレソンのサラダを添えて…。他にも、小フグやメバルやネブト、シャコやカニやタコやイカ…。瀬戸内海に面し、野菜も採れて、玉島の食文化は超絶豊かです。



夕方からは、図書館で資料を調べたり、川沿いを海までチャリで移動したり、のんびりと過ごしました。海岸沿いには巨大な工業地帯が広がっていました。大きな通りにはマクドナルドやモスバーガーが並ぶ典型的な「郊外」の姿も。


夜は、近所の和菓子屋松寿園の亀山さんに連れて行ってもらって、倉敷の飲み屋さんへ。焼きシャコや筍の天ぷら、あこうの刺身など。。。はー、贅沢きわまりない。



ちょうど今、東京での仕事を今後どうするか悩んでいて、東京とは別の生活/仕事のあり方を探し始めようとしていたぼくにとって、ここで見たものは希望でした。



それは、空き地や空き家、余ったモノや自生する食材などなど、想像力をかきたてる様々な「余白」の姿です。玉島の街をめぐっていると「これそのまま壊しちゃうんじゃなくて、こんなふうにしたら面白くない?」と、湧いてくるフラッシュアイデア。それを具体的に提案し、共感する人をあつめ、活動をつくりだすのは大変だし時間がかかるけど、何かのきっかけで人が集まり、できていきそうな気がする。



そこで思い浮かべるのは、東京的なやり方とはまた違う、自生的な活動の姿です。東京でも、「こんなことしたら面白くない?!」という共感のもとに、フリーランスのクリエイターたちが集まり、様々な活動が生まれています。一方、この玉島で何かやるためには、近所に住むおじいちゃんおばあちゃんや子どもたちと関わらざるを得ず、興味や趣向や持っているスキルも全然バラバラで、何かを生み出すには時間もかかるし、東京的なやり方ではうまくいかないかもしれません。しかし、だからこそできる、へんてこで懐かしい活動の有り様があるはず。そう考えると、妙に興奮します。



ぼくが活動している練馬は、東京の住宅地で、クリエイターが集まる文化拠点でもなければ、豊かな「余白」があるわけでもない、過密な郊外住宅地です。渋谷よりも生活感があるけれど、玉島よりも都市化している。中途半端な都市です。その中途半端で野暮ったい感じが、ぼくは好きなんですけどね。

しかし、過密な郊外住宅地では、よりよい生活をつくろう、という自治のマインドが共有しづらくなり、安全管理を目的とした無機質なルールやタスクになってしまっているような気がします。自由にのびのびと使える空間・時間を生み出すには、その「無機質なルール」を使いこなして行く必要があります。



自生する要素にリズムをつくりだしていく玉島の活動と、無機質なルールをほぐしていく練馬での活動の相互作用を、うまい具合につくりだしていけないか、と、今考えているところです。