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2012/11/11

公共文化施設のコミュニティ・プログラム


今日は世田谷パブリックシアターで「公立文化施設のコミュニティ・プログラム」と題したシンポジウムへ。

考えたことは、「公立文化施設のコミュニティ・プログラム」に関わる人たちの「必要」とはなんだろうか、ということ。

第1部のテーマは「(コミュニティ・プログラムの)目的・対象・方法」。

公共文化施設に対して、まず税金を払うという関わり方をしている市民、区民、都民の「(潜在的な)必要」というのがあって、それにエクスキューズすることが公共文化施設の仕事の一つとなる。会田さんが言っていたように、公共施設の事業は行政の政策と不可分なものであって、プログラムを作る人がただ単に自分の興味関心でつくっていていいわけではなくて、議会での審議を経て提示されている自治体の政策方針とか、政策内容とか、施設に求められるものや自らが掲げるミッションと、プログラムをかみ合わせていくという作業がいる。

プログラムに参加する人びとの「必要」というのは、「これに参加すればこういう効果が得られる」とか「こういう知識を学べる」とか「こういう快楽が味わえる」ということだけでなく、「あたらしいものに出会う」という好奇心を満たすことであると考えてみる。しかし、好奇心の強さやベクトルは人それぞれだし、いろんな好奇心の有り様に応答していくこともまた、プログラムを考える側の仕事になっていく。

わけのわからないものに出会ったときに、それをしりぞけ思考停止させるのではなく、それに対して取り組むことが創造力だ、という会田さんの話にはすごく共感したし、わたしたちはどうしていったらいいのか、ということを美術や科学や演劇やメディアアートを通して、議会とは違う在り方で考えることができる場がコミュニティ・プログラムだとする野村政之さんの考え方にも。人びとが文化を更新していく創造力をもって未来というわけのわからないものに向かっていくためのコミュニティ・プログラムなのであって、そのために人が集まる場をつくり、集まった人びとがモノゴトをつくることを楽しめるような工夫をする。

個人の好奇心からだけでなく、仕事に関わる「必要」もある。たとえば学校の先生達は、鑑賞教育が組み込まれたときから芸術作品を鑑賞する、ということを身をもって子どもたちに伝えることが必要になり、よりよい鑑賞教育の方法を模索しているという。東京都現代美術館の郷さんは、アーティストの訪問事業に加え、先生たちの研修会に美術館の一室を提供したり、先生が無料で展覧会を鑑賞できるプログラムを実施したりして、この先生たちの現状に積極的にコミットしている。

そして最後に、プログラムをつくる側の「必要」というのはなんだろう、ということ。自分もそうだから、自分の「必要」を語るとすると、まず前提として自分がいいと感じる芸術を信じているし愛していると思う。そしてそういう芸術が人びとにエフェクトしたり、人びとからエフェクトされて芸術が変容していく風景をみたい、という「必要」、というか欲望がある。とくにそれが子どもであり、子どもの遊びによって芸術が変容しより奥ゆきを増していくプロセスに興奮するし、その興奮は生きていく上でもはや「必要」だということ。

あらかじめ定まっている未来などなく、いま・ここにあるのは、すでに生まれた人やモノゴトと、これから何かが生まれるという予兆であって、できることはそれを予想すること。そして、それを形にするのはほかでもない人びとの意志や行為だし、その形の価値はどんな文脈におき、どんな言葉や数字を与えるかでいかようにも変化する。人びとの必要というより意志を知り、何を為しているかを知るために、プログラムをつくる人間はよく耳をそばだてておかなくてはなるまい。そうして集めた情報や感じた気運から、人びとと何を為したら面白いかを想像し、すでにそこにあるモノゴトや文脈とすりあわせながら、それが実現するための時間を組み立て、空間に人やモノをあつめ、出来事を生み出し、その後に言葉や数字をあたえていく。面白い仕事だなぁーと思う。手仕事やフットワークによるプログラミング。

とはいえ、アーティスト・イン・児童館としては自治体の政策についてのリサーチも足らないし、ミッションももうすこしバージョンアップしたほうがいいし、文脈の整理も甘い。ドラマツルギーが要る。来年はいろんな情報を収集し、文脈をつくる作業に1年を充てて考えたい。

で、第2部は「地域と子ども」がテーマ。だったはずが、第1部とほとんど同じテーマになっていたような気がする。こういう場で質問するのは苦手というかあんまりやったことないのだけど、「ワークショップという言葉がたくさんでてきたけど、ワークショップはサービスと考えていますか?それともクリエーションだと考えていますか?」という質問と、「地域の子どもたちに施設をどのように活用してほしいと思っていますか?」と聞いた。

「ワークショップはサービス。そうでなければ市民に作品に奉仕してもらうかたちになる」と言い切った柴幸男さんは鮮やかで、なおかつ「ワークショップじゃなくても、地域のなかに作家の存在があって、創作の現場があるだけでいろんな影響や効果があると思う」という話には頷いた。どうやってその効果を測定すればいのか、また、どうやってその影響を効果的に生み出すことができるのかはまったくわからないけれど、アージにトライできる重大な部分な気がする。

大変刺激になった一日でした。明日からまた走る。