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2012/03/12

旅路の開き方

制作の渦中にいて、今考えてることを上手く言葉に出来ないけれど、とにかく書いておくためにこのブログをやってるわけで。



今日は、海を目指して電車にのった。普段会ってる場所から離れたところへの「旅路」を開いた。この「旅路」はもう一つ、参考となる将来像を示した、ということでもある。将来こうなりたい、という像ではなく、こういう可能性もあるんだ、という体験として。

プロジェクトは、「旅路」を開くためのメディウムになることができる。内側から外側へと関係をつくりかえていく。外側にはただやみくもに広がる「楽しいこと」があるわけではなく、プロジェクトという「手段」がある。その手段をどんな目的に使うかはその人次第だが、その手段によって想像力の範囲の射程の外に出ていくことができる。そうして「旅路」は開けていく。


3月11日14時46分そのときは、ビックカメラのテレビの前で迎えた。黙祷が場所をつつんだ。多くの人々がその時間を同期し、多くの死と喪失と結びついた。鳥肌がたった。その内側の強い連結を感じたけど、外側に出ていく手段は持ち得ないのか。旅路は開けないのか。