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2010/11/20

11/19 避難所/北海道からの来客

新大久保駅の避難所のスタッフをしてから、タイ料理屋トンタイへ。美味しいから皆連れていきたい。

マッカリに戻ると、北海道から中村絵美が来ていて色々話す。鳥取でのレジデンス、本当におつかれさまです。いろんな使命を、勝手に背負わされている大変な世代であることをぼくたちは自覚し始めています。


北海道には、少なからぬ縁があって、昨年死んだ祖父の骨は小樽に埋まっています。明治期に仙台から北海道に渡り、開拓に従事した大工の棟梁の一人がぼくの母方の高祖父で、小樽新聞社のような現存の建物も作っています。

文化人として僻地に渡り、その場所の生活に馴染もうとしても馴染めなかったであろう彼らの生活を思いながら、ぼくも北海道で生活してみたいと思いました。レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』のようです。

2010/11/19

11/18 ロゴマーク


アーティスト・イン・児童館のロゴマークを作りたくなってきた。なので、その相談もかねてデザイナー濱くんともつ鍋を食べに行きました。





「マリオの土管」
「風穴」
「凸」
「鍋の蓋」
「交差点」
「冬虫夏草」

これらがこれから生まれるロゴのキーワード。楽しみである。

2010/11/14

11/13 ことばのかたち/関わり方/また会えるはずだよ


ことばのかたち工房
 今日は高校生が来てくれました。さすがエリート高校のボランティア部。高校一年生なだけあって、楽しみ方を分かっていたようです。子供な部分と大人な部分が不自然に同居する彼女たち、とても面白い時期だなぁと思いました。そしてこの日は初めて、工作室での実施をしました。ちょっと奥にある部屋なので、子どもたちは今日「ことばのかたち工房」をやっているということがあまり分からない様子でした。でも、ギャルたちは集まるし、面白い少年たちは来てくれたし、充実していましたよ。

中村児童館
 12時ころに抜けだして中村児童館へ移動。今日は「あきまつり」だったのです。ナデガタ山城さん、野田さんが中村児童館の秋祭りを体験。山城さんは昨日の代官山UNITでのイベント「THE☆荒川智則」の徹夜明けにも関わらず、8時半に出動!すごいなぁ。





 でも、職員の子どもとのコミュニケーションの仕方を見て、自分も体験することができてよかったと言っていました。たしかに、アーティストとして制作する上では、アーティストは職員の立場は経験しません。今回のように児童館の現場に入り込むことで、その経験は生まれたわけです。場所や人物を記憶するだけでなく、児童館という場所のコミュニケーションの作法を読み込んでいく山城さんのリサーチ能力。すごい。
 一方で野田さんは、秋祭りの来場者の多さに驚いていました。この延長線上にキッザニアがあることや、秋祭りのよく出来た経済システム、そこに集まってくる子どもたちの欲求の在り方に驚きつつ分析をしていました。
 今度は、何か実際にかたちを作ってみたいということで、現在進行中の企画あり。もしかしたら一月に実現するかも知れません。それも興味深いリサーチのプロセスなのです。

池田さんのこと
 その後また、東大泉児童館に戻ります。この日は少しだけハード。
 この日、先日電話でチラシを見た、と連絡をくれて遊びに来てくれた池田さん。関町に住んで主婦をしていて、図書館でチラシを見てきてくれたのだそうです。子どもと積極的に関わるわけではなく、むしろ戸惑っていた彼女は、古着から取り出された紐状のパーツを三つ編みにする作業に次第に没頭し、その作業をずーっとしていてくださいました。
 ぼくは、子どもと無理に関わるわけでもなく、でも作業をして、たしかに池田さんがその場に居るこの状況が、とても魅力的だと思いました。戸惑いの中で見出したこの場所との関わり方が三つ編みを続けることだったと思うのですが、そのかかわり方を子どもたちや高校生が受け入れ、任せている様子に、感動してしまいました。こうした関わり方の中で生まれるものが、作品となり、あるいは材料となり、これから児童館の壁を超えてつながっていく道筋を作っているのです。

よっちゃんのこと
 それから、今日は東大泉児童館職員の、よっちゃんの最後の日でした。おめでたいことに2人目のお子さんができて産休に入るため、この児童館を離れることに前から決まっていました。彼女のことは以前も書いたけれど、活動のイメージを共有するために何度も時間を奪って、本当に困らせてしまっていました。とくにかばちゃん(2008年度まで10年間東大泉児童館に務めた職員)の後継でプレッシャーも大きい中で、北澤くんとぼくたちというあまりに未熟で無駄なプライドだけの若者とのやりとりに、相当苦労されただろうと思います。
 でも、ぼくたちが少しずつ上手にコミュニケーションを持てるようになっていく過程を、見守っていてくれたことを今日知りました。二十歳の頃の青臭い衝動を、彼女は戸惑いながらたしかに受け止めていてくれたのです。
 産休を終えたら、また練馬区で職場復帰をする予定だそうです。

「また会えるはずだよ。臼井くんなら続けてるはず。またきっと一緒に面白いことできるでしょう」

適切な距離感で付き合うことを覚えたぼくとよっちゃんの間に、拒絶はありえないなと確信しました。ぼくたちの活動が、彼女が復帰した職場に出会うことを、ただ楽しみに待つだけです。
 ちなみにお子さんの出産予定日は1229日。ぼくの誕生日が31日。そしてその子は男の子。誕生日が同じだったらふしぎだね、と、笑っていってくれたことが嬉しかったのです。